犬 脳腫瘍 末期症状 6, トマト ピクルス 栗原はるみ 6, 一人 親方 開業届 出して ない 7, 第五人格 Pc コントローラー 5, カリカリ梅 作り方 にがり 5, 二級建築士 製図 独学 5, 仮面ライダー ゼロツー 能力 11, Minju Kim 通販 23, 中型犬 里親 愛知県 12, もろみ すっぽん黒酢 口コミ 10, 前歯 隙間 子供 14, C言語 積分 モンテカルロ 5, 320d Atf交換 費用 4, 信号 手前 右折 11, 劇団四季 書類審査 結果 いつ 6, Javascript Activexobject 解放 4, Chrome 共有 Line 解除 8, ドンキーコング 攻略 スイッチ 4, Ff14 新式 染色 10, ルーキーズ 安仁屋 名言 22, Nexto Di Nps 10 5, Final Cut Pro 4k 編集 4, 間寛平 自宅 住所 5, "/>

80年代 アーティスト 一覧

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80年代 アーティスト 一覧

1/2の神話   /   中森明菜 相生祐子 (本多真梨子)・長野原みお (相沢舞)・水上麻衣 (富樫美鈴)・東雲なの (古谷静佳)・はかせ (今野宏美)・阪本さん (白石稔) ツイてるね ノッてるね   /   中山美穂

少女A   /   中森明菜 年代音楽の特徴は「楽しい」 80年代の音楽というと、どんな印象をお持ちでしょうか? 70年代の終わりにかけて、飾ることなくがむしゃらに歌い上げるスタイルが若者を中心に人気を集め、ラモーンズをはじめとするバンドやアーティストたちが一躍有名になりました。 迷宮のアンドローラ   /   小泉今日子 シーズン・イン・ザ・サン   /   TUBE みんなのうた   /   サザンオールスターズ SOLITUDE   /   中森明菜 年代音楽の特徴は「楽しい」 80年代の音楽というと、どんな印象をお持ちでしょうか? 70年代の終わりにかけて、飾ることなくがむしゃらに歌い上げるスタイルが若者を中心に人気を集め、ラモーンズをはじめとするバンドやアーティストたちが一躍有名になりました。

奥飛騨慕情   /   竜鉄也 メモリーグラス   /   堀江淳 モニカ   /   吉川晃司 哀しくてジェラシー   /   チェッカーズ

ランナウェイ   /   シャネルズ

ANGEL   /   氷室京介

すみれSeptember Love   /   一風堂 GLORIA   /   ZIGGY 初恋   /   村下孝蔵 チェリー・ブラッサム   /   松田聖子

サファイアの瞳   /   THE ALFEE

人魚姫~mermaid~   /   中山美穂 SHOW ME   /   森川由加里

CHA-CHA-CHA   /   石井明美

ガラスの十代   /   光GENJI

プルシアンブルーの肖像   /   安全地帯 そのデビュー曲でもあり、ラストシングルでもあるのがこの『悲しきエクササイズ』です。バラエティ番組からの曲ということで、歌詞もコミカルで、いかにも企画物的な印象の楽曲ではありますが、過去に欽ちゃんの番組からヒットした前述の曲たちも、『北酒場』を除くと、どれもコミカルな曲ですから、当然の成り行きでしょう。それでもってこの曲、作詞が川村真澄なのです。ちょっと意外ですね。久保田利伸『Cry On Your Smile』『You Were Mine』、渡辺美里『My Revolution』、宮沢りえ『DREAM RUSH』、鶴久政治『貴女次第』、松本伊代『サヨナラは私のために』、小泉今日子『Smile Again』、河合その子『JESSY』、小川範子『こわれる』『永遠のうたたね』、今井美樹『野性の風』など、素敵な歌詞のヒット曲がずらりと並んでいる中でのおめで隊『悲しきエクササイズ』なんですから! 愚か者   /   近藤真彦 雨音はショパンの調べ   /   小林麻美 太陽がいっぱい   /   光GENJI 順子   /   長渕剛

ふたり   /   少年隊 ヤマトナデシコ七変化   /   小泉今日子 ミス・ブランニュー・デイ   /   サザンオールスターズ 80年代青春歌謡 365アーティスト 365曲.

How many いい顔   /   郷ひろみ スニーカーぶる~す   /   近藤真彦 嵐の素顔   /   工藤静香 春なのに   /   柏原芳恵 卒業~GRADUATION~   /   菊池桃子 難破船   /   中森明菜

ごめんよ 涙   /   田原俊彦 サイレンスがいっぱい   /   杉山清貴&オメガトライブ

ブログトップ; 記事一覧; TANGO NOIR   /   中森明菜

追憶   /   五木ひろし CAT’S EYE   /   杏里 星空のディスタンス   /   THE ALFEE 桃色吐息   /   高橋真梨子 翼の折れたエンジェル   /   中村あゆみ ※2020年8月時点での規制対象国(EU加盟国)は、下記の通りです。 1980年代に発売されたシングル365曲(1アーティスト1曲限定)の雑感. モーニングムーン   /   CHAGE&ASKA DAYBREAK   /   男闘呼組

SEVEN DAYS WAR   /   TM NETWORK

シングル・アゲイン   /   竹内まりや BOYのテーマ   /   菊池桃子 時間の国のアリス   /   松田聖子 I Love you, SAYONARA   /   チェッカーズ

NEVER   /   MIE

つぐない   /   テレサ・テン ボヘミアン   /   葛城ユキ 天使のウィンク   /   松田聖子 夏ざかりほの字組   /   Toshi & Naoko

淋しい熱帯魚   /   Wink さよなら   /   オフコース

昴(すばる)   /   谷村新司 モノクローム・ヴィーナス   /   池田聡

君に薔薇薔薇・・・という感じ   /   田原俊彦 サマードリーム   /   TUBE

ふられ気分でRock’n Roll   /   TOM★CAT

/   中山美穂 私はピアノ   /   高田みづえ

愛が止まらない   /   Wink 80年代のヒット曲の中から代表的なものをピックアップしています。1980~1989年。別れても好きな人 / ロスインディオス&シルヴィアダンシングオールナイト / もんた&ブラザーズ倖せさがして / 抱きしめてTONIGHT   /   田原俊彦

ろくなもんじゃねえ   /   長渕剛

涙のtake a chance   /   風見慎吾 ふたりの愛ランド   /   石川優子&チャゲ 色つきの女でいてくれよ   /   タイガース

赤道小町ドキッ   /   山下久美子

まちぶせ   /   石川ひとみ

ガラスの林檎   /   松田聖子 80年代洋楽でヒット曲を放ったアーティストの中でも、ちょっぴりマイナー?と思われるアーティストを多数ピックアップ!往年の80’sポップスを代表する存在~一発屋まで、あなたは全部おぼえています … You cannot use Uta Net from the countries covered by GDPR.

元気なブロークンハート   /   C-C-B アーティスト別 cdシングル売上一覧; 昭和の名曲 ~永遠に色あせることのない名曲~ 平成の名曲 ~大ヒットの名曲がズラリ~ 洋楽の名曲 ~誰しも一度は耳にした名曲~ 1960年代、1970年代 フォークソングの名曲

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TRAIN-TRAIN   /   THE BLUE HEARTS, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 細雪   /   五木ひろし パラダイス銀河   /   光GENJI

トワイライト~夕暮れ便り~   /   中森明菜 /   ヴィーナス Marionette~マリオネット~   /   BOOWY とんぼ   /   長渕剛 シンデレラは眠れない   /   THE ALFEE 雨の西麻布   /   とんねるず 特集/年代流行. いつか何処かで   /   桑田佳祐 俺たちのロカビリーナイト   /   チェッカーズ 楽園のDoor   /   南野陽子

WANDERER   /   チェッカーズ Rock’n Rouge   /   松田聖子 派手!!!

ハッとして!Good   /   田原俊彦 北の旅人   /   石原裕次郎 stripe blue   /   少年隊 愛しき日々   /   堀内孝雄 Blonde   /   中森明菜 サンセット・メモリー   /   杉村尚美 とまり木   /   小林幸子 /   田原俊彦 雨の慕情   /   八代亜紀

まだまだ叶っていない夢を心の中にとじこめ、それが実現できるまでは、ふるさとには帰れない、そんな覚悟が感じられる描写でもあります。, このように『ふるさと』は物語性のある作品で、曲そのものも6分を超える長さとなっているのです。ですから、前作のような大ヒットまでを狙ったものではおそらくないでしょう。それでも勢いもパワーもあった当時の松山千春でしたから、オリコン最高3位、売上30.0万枚とこちらもヒットしたのです。キャッチーではないけれど、歌詞を読むと味わいのある曲として、一定の支持を受けた結果だったということでしょう。ただ、松山千春にとって30万枚を超えるシングルはこれが最後になります。この後『夜よ泣かないで』『夢の旅人』『Sing a Song』ときて、以後は、冒頭で記したように、オリコントップ10からも外れてしまい、シングルとして大ヒットを飛ばすことはなくなっていくのでした。, ON THE MACHINE(翔と桃子のロックンロール)  杉本哲太&LONELY RIDERS, 銀蠅一家の次男坊が、所属本体の紅麗威甦とは別に、兄貴たちをバックに従えてリリースした企画シングル, 1982年1月『ぶりっこRock‘n Roll』でデビューした紅麗威甦のボーカル杉本哲太。横浜銀蠅の長男嶋大輔に続き、次男坊として売り出しをかけてきたのが1982年になります。この『ON THE MACHINE(翔と桃子のロックンロール)』は、杉本哲太をメインに紅麗威甦とは別形態のバンドとして, 1982年5月にリリースした、一発限りのいわば企画物のシングルレコードになります。LONELY RIDERSなるバンドですが、言ってしまえば横浜銀蠅の面々のことです。嵐、翔、TAKUが楽器やコーラスで弟分をサポート、同じく銀蠅のJohnnyは作曲を担当し、全面的に兄貴分たちがバックアップした作品なのです。, この『ON THE MACHINE(翔と桃子のロックンロール)』ですが、横浜銀蠅のサポートということ以上にポイントとなるのが、タイトルの括弧書きの「翔と桃子のロックンロール」の部分です。翔と桃子というのは、当時人気のコミック『ハイティーン・ブギ』の主人公の高校生カップルのことで、作詞を担当したのが『ハイティーン・ブギ』の作者である牧野和子なのです。ちなみにB面が紅麗威甦の歌う『桃子の唄』ということで、完全に『ハイティーン・ブギ』とのタイアップ企画のシングルとなっているのです。, しかしそうなると、当然「ん?」と思うのは、映画『ハイティーン・ブギ』と、主演の近藤真彦が歌うその主題歌『ハイティーン・ブギ』の存在です。シングル『ハイティーン・ブギ』の発売が1982年6月、映画『ハイティーン・ブギ』の公開が1982年8月と、『ON THE MACHINE(翔と桃子のロックンロール)』と同時併行で進んでいるタイミングなのですよね。結局この年『ハイティーン・ブギ』の大々的なプロモーションが行われていたということなのでしょうね。コミック『ハイティーン・ブギ』自体、主人公が暴走族のリーダーですし、その名前も“翔”とくれば、当然当時人気絶頂の横浜銀蠅一家に白羽の矢が立つのは当然の成り行き。それなら若い杉本哲太のイメージにぴったり合うのではないかと、企画されたのもある意味納得なのですね。, 歌詞も作者自身が書いているので、その内容がコミックの世界と一致するのも当然のこと。冒頭いきなり《オレんとこ来ないか?》というセリフで始まり、そこからは銀蠅ロックおなじみの演奏がスタート。お世辞にも上手とはいえない哲太の不器用なボーカルも、どこか朴訥な感じで、『ハイティーン・ブギ』の世界観と合うのでしょう。そのあとは、バイクの後ろに桃子を乗せて夜の浜辺を突っ走る翔、《海辺に着いたら甘くキスして》と、完全に二人きりの世界に。《海辺にバイクをとめて》で始まる近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』ともこのあたりはリンクしてきますね。, そんな大々的なプロモーションとの相乗効果もあってか、『ON THE MACHINE(翔と桃子のロックンロール)』はオリコン最高7位、売上19.8万枚と、そこそこのヒットになるのです。もちろん企画物なので、この形態でのシングルはこの一曲のみ。ふたたび紅麗威甦としての活動に帰っていくわけですが、翌1983年、また別形態でのシングルを発売することになるのです。その話はまた別の機会で触れることにします。, それにしても当時、今の杉本哲太の活躍ぶりを想像した人はいたでしょうか。歌は粗野でうまくない、顔を強面で所詮銀蠅の二番煎じ、長くは続かないだろうと踏んでいたのですが、ところがどっこい、俳優として長きに渡り一線で活躍を続けているのが現在の杉本哲太なのですね。今の俳優の姿しか知らない世代にとっては、びっくりの過去ではないでしょうか。たまにはこの頃の歌をテレビなんかで見せてほしい思ったりもしてしまいますが、どんなものでしょうかね。, 海の似合う健康的な女の子からちょっとアダルトな雰囲気のお姉さんへ、転換を狙った1985年の勝負の一曲, 女性アイドルの当たり年といわれる82年組の一人として活躍した石川秀美は、1982年デビュー当初は、ショートパンツ姿で健康的な足を見せて歌う姿が印象的でした。その健康的なキャラクターをさらに印象付けるように、シングル曲には“海”を背景にした作品を多く選んできました。特にサーフボードが多く登場するのも印象的です。, 石川秀美の最初の3年間のシングル曲から、海を歌った歌をあげてみますと、以下のような具合です。, 《街を走る車はサーフボードを載せている》《波しぶき 水着のすきまをはじけてすべるわネ》, 《あの日あなたに 海で会わなければ》《だから海を見ても もう泣いたりしない ひとりだって》, 《あなたの背中 潮のにおいね 耳を寄せたら 波が聞こえる》《海に向って 大声出して》, 最初の3年間で出したシングル12曲のうち、海の曲が7曲、うちサーフボードが3曲も登場と、かなり徹底された戦略がとられていたのでしょうか。そのおかげもあってか、5枚目『Hey!

ジプシー・クイーン   /   中森明菜 夏の扉   /   松田聖子 英語のリスニング学習に最適な「歌詞 カタカナ字幕付き動画」のアーティスト一覧です。英語字幕・日本語字幕の同時表示プレーヤーを使って効果的な英語学習が行えます。 - 洋楽アーティスト FU-JI-TSU   /   工藤静香 街角トワイライト   /   シャネルズ 蜃気楼   /   クリスタルキング

チャコの海岸物語   /   サザンオールスターズ

心の色   /   中村雅俊

あなたを・もっと・知りたくて   /   薬師丸ひろ子 STARSHIP~光を求めて~   /   THE ALFEE

シャドー・シティ   /   寺尾聰 You Were Mine   /   久保田利伸 秘密の花園   /   松田聖子 僕 笑っちゃいます   /   風見慎吾 NANA   /   チェッカーズ

ふられてBANZAI   /   近藤真彦 大都会   /   クリスタルキング 話しかけたかった   /   南野陽子 迷惑でしょうが・・・   /   とんねるず どこかで聞いたことがある80年代の洋楽ミュージシャンを有名だと思われる順に並べてまとめてみました。売れた曲や,テレビ,ラジオ,cm,番組で扱われた曲ほど上の方に表示しております。代表曲,ヒット曲,定番曲,名曲,ヒットソング,おすすめ,一番ソング,人気曲まとめサイト。 さよならのオーシャン   /   杉山清貴 ミスター・ポリスマン』で初めてオリコンのトップ10入りすると、以後は連続してトップ10入りを果たすなど、安定した人気を獲得していったのです。, デビュー4年目となった1985年も人気は安定していて、13枚目『もっと接近しましょ』(1985年1月)、14枚目『あなたとハプニング』(1985年4月)もトップ10入りを果たします。ただ、ちょっと様子が変わってきたのは歌詞の内容です。それまでの海が似合う健康的な女の子のイメージをそろそろ脱却したいと考えたのか、歌詞の内容も大人っぽいアダルトな雰囲気へと、大きく振ってきたのです。それも結構露骨に!『もっと接近しましょ』では《春になればふたり 何をしましょうか》と意味深な言葉の後に《キャンディーなんかいらない 花束なんかいらない グラマラスに抱いて》と大胆な誘惑。『あなたとハプニング』でも《おぼえたてのフレンチキス トライしてみたいの》とこちらも大胆なお誘い。このあたりは実に徹底していて、分かりやすいです。, 前置きが長くなってしまいましたが、そんなアダルト路線への転換の中で発売した15枚目シングルが『Sea Loves You~キッスで殺して』だったのです。作詞は石川秀美のシングルでは初の売野雅勇、作曲は石川秀美にとっては常連の小田裕一郎で、年下の男の子に恋したお姉さんの気持ちを歌った曲です。さらにこの曲、タイトルに『Sea』とあるように、4曲ぶりに“海”が登場してきて、まさに新機軸のアダルト路線と従来路線の海路線が融合した、ある意味集大成的な一曲となったわけです。, 《オペラグラスで狙う渚の恋に 小指でそっと投げKiss返してあげる》とこのあたり、お姉さんの余裕をかましています。《ビキニのカーブなぞる いけない視線》と年下の男の子のエッチな視線も平気で受け止め、《キッスで殺して my heart 好きなのと言わせてごらん》と挑発。そして挙句の果てには《年下でしょ無理しないで 言うこときくのよ いいことdarling》ですから、かつて海で何度も何度も積み重ねてきた恋の経験が、こうして生きてくるわけなのですね。そんな歌詞に乗っかった小田裕一郎の曲がまた明るく爽やかで、素晴らしいのです。ちなみに小田裕一郎作曲の石川秀美以外での代表曲は、サーカス『アメリカン・フィーリング』、松田聖子『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色』、田原俊彦『恋=Do!』『グッドラックLOVE』『エル・オー・ヴイ・愛・N・G』、杏里『CAT’S EYE』などがあり、数のわりに大当たりが多い印象の作曲家です。, 私は石川秀美の曲の中でこの『Sea Loves You~キッスで殺して』が一番好きです。石川秀美は、なかなか代表曲の選択が難しいアイドルではありますが、少なくともこの曲は代表曲として挙げられることはないでしょうし、知っている人も少ない曲だとは思います。でも人気が安定して心に余裕が出てきた感じが歌にも表れていて、そんなところもなんかいいのですよね。もっとも本人はとっくに引退してしまっているので、この曲を人前で披露することもないでしょうし、ちょっと残念な気がします。, さて集大成的な『Sea Loves You~キッスで殺して』も無事オリコン10位を獲得、続く『愛の呪文』(1985年9月)は7位を獲得し、紅白歌合戦に初出場となりました。1985年12月発売の『サイレンの少年』もオリコン10位となったのですが、翌年1986年から勢いは下降していきます、オリコンもトップ10に入ることがなくなり、ロック調の歌に走ったりと、次第にアイドルポップスから離れていくのですが、なんとしても驚いたのは、薬丸裕英氏との結婚でしょう。結婚を機にあっさり芸能界から引退、ときおりCMに出演したことはあるものの、表舞台には一切出てこずに今に至ります。しかし薬丸氏の安定した活躍や家庭の円満ぶりをみると、彼女にとっては賢い選択だったのでしょう。ただ同時代を過ごした者からすると、懐かしい曲をたまには歌ってほしいなと思う気持ちはありますね。, ニューミュージック系アーティストとも積極的にタッグを組んだ演歌の大御所の、8年ぶりで最後のトップ10曲, 作詞松本隆、作曲大瀧詠一、歌唱森進一という組み合わせに当時は新鮮な印象を覚えたものですが、これがまた森進一に意外にはまっていて、演歌に対して抵抗感のある若者たちにも受け入れられるような曲に仕上がったのです。森進一という歌手は、時々演歌の枠をはみ出して、当時ニューミュージックといわれていたアーティストたちと組んだシングルを発売することがあり、そのあたりへの嗅覚とかバランス感覚とかには、かなり優れたところがありました。レコード大賞を獲得した『襟裳岬』(1974年1月)や『夜行列車』(1977年6月)の吉田拓郎、『紐育物語』(1983年4月)の細野晴臣、『待たせたね』(1984年2月)の松山千春、『風のエレジー』(1990年8月)の井上陽水、『悲しみの器』(1995年9月)の谷村新司、『夜の無言』(1996年8月)のはたけ(シャ乱Q 作詞はまこと)など、そうそうたるミュージシャンが曲を提供しているのです。しかもその間には、船村徹だの猪俣公章だの遠藤実だのといった大先生の作った正統派の演歌も歌っているわけですから、その幅の広さには驚かされるのです。, そんな中でも、『襟裳岬』と並んで多くの人に支持されたのがこの『冬のリヴィエラ』でした。レコードセールス面での森進一のピークは1974年ぐらいまでで、1967年以降、毎年必ず1曲は、オリコントップ10入りするようなヒット曲を出してきていました。しかし1974年9月発売の『北航路』の10位を最後に、トップ10からは遠ざかっていたのです。最高で1979年7月発売『新宿・みなと町』の18位、売上18.3万枚であり、もはや旬を過ぎた歌手といわれても仕方ないような状況だったのです。ところがそんな中で発売された『冬のリヴィエラ』はオリコン最高10位、売上枚数26.4万枚と、実に8年ぶりのトップ10入りを果たしたのです。当時のテレビのランキング番組にも登場し、たのきんや聖子ちゃん目当てで見ていた若い子たちにも覚えられ、わりと抵抗なく口ずさめる演歌歌手の歌としてしたしまれました。実際に、中学生だった私も、この曲は今でもそらで歌うことができます。そしてそれにはやはり、松本隆&大瀧詠一という作詞作曲コンビの力が大きかったことには間違いないでしょう。, 松本隆&大瀧詠一のコンビでの楽曲提供というと、ほかに松田聖子『風立ちぬ』、太田裕美『さらばシベリア鉄道』、薬師丸ひろ子『探偵物語』がありますが、いずれも女性アイドルで、その中にラインアップとして森進一『冬のリヴィエラ』が加わるのです。ちなみに大瀧詠一が他の作詞家との組み合わせで提供したヒット曲には小泉今日子『怪盗ルビイ』、小林旭『熱き心に』などもあります。この『冬のリヴィエラ』は森進一が歌うと、演歌とニューミュージックのちょうど間にあるような歌に聴こえ、その塩梅がちょうど良かったのでしょう。演歌とはちょっと違ったおしゃれ感があり、かといって冒険しすぎた感、無理に頑張っている感もなく、演歌ファンにも、演歌嫌いの層にも売れ入れられるちょうどいい線の楽曲なのですね。, そして松本隆の詩がまた絶妙なのです。映画のような情景が想像できるような言葉が多く登場し、リヴィエラという町を知らなくても、不思議と想像できてしまうような歌詞なのです。《ホテル》《窓辺のラジオ》《陽気な唄》《アメリカの貨物船》《桟橋》《旅行鞄》《はずした指輪》《酒の小びん》《シュロの樹》《革のコート》…、異国情緒あふれるわびしげな風景にちょっととした小道具が使われて、なんともいえないもの淋しさを感じるような、雰囲気のある歌詞なのです。, 結果として、森進一にとって最後のトップ10入りシングルとはなってしまいましたが、この曲の存在というものは森進一にとってもかなり大きなものになったのではないでしょうか。1980年代に青春時代を過ごした世代にとっては、この曲がなければ、森進一は1970年代に活躍した演歌歌手という印象だけを持ち続けていたと思います。しかしこの『冬のリヴィエラ』がヒットしたことで、より親しみを感じる存在になりましたし、昔ながらの演歌だけでなく新しい音楽にも意欲的に挑戦する歌手としての印象をその後もずっと持ち続けることにもなりました。その意味で『冬のリヴィエラ』は森進一を語る上では外せない一曲といえるでしょう。, あっという間に駆け昇り、あっという間に消えていった伝説的バンドのブレイク・シングル, BOØWYのブレイクから解散までの怒涛の流れをみていると、一つのバンドに二人の巨頭は並び立たないということを、明確に認識させられるのでした。氷室京介と布袋寅泰、この二人が巡り合って同じバンドで活動していたということは、今思うとものすごい奇跡に思えてくるのです。, BOØWYのデビューは1981年でしたが、もちろん最初から売れていたわけではなく、デビュー当時の楽曲は粗削りで、万人に受けるようなものでもなかったのも事実です。ようやく一般大衆の認知に向けて火が付き始めたのが1986年の前半。2月に発売されたシングル『わがままジュリエット』が初のオリコンチャート入りの39位、3月に発売されたアルバム『JUST A HERO』がアルバムチャートの5位という結果を残します。しかしこれでもまだまだ音楽好きの一部の層だけが知っているというような状態です。ところが同じ1986年の後半にはガラリと状況が変わるのです。9月に発売されたシングル『B・BLUE』がオリコン最高7位と、とうとうトップ10入りを果たし、11月リリースのアルバム『BEAT EMOTION』に至っては、念願のアルバムチャート1位を獲得するのです。, 私自身、この『B・BLUE』を初めて聴いたときには、切なくてかっこよくて、なんて素晴らしい曲なんだと感動したのを覚えています。布袋の曲もカッコよければ、氷室の詩も心に響くもので、発売されたのもこれから涼しくなっていく秋口ということもあいまって、何度も何度も聴いて、そして口ずさんだものです。《ポケットにつめ込んだ 夢だけですごせたネ このままでいつまでも続くなんて》思っていた恋も、《不器用な愛で》《いつも傷つけあってたネ》《違う明日を見つめてた》といつの間にか気持ちがすれ違うようになり、《さみしい笑顔がある事も 気づかずにいた俺》に訪れた別れ。《乾いた風にかき消されて 最後の声も聞こえない 歪んでく街並も色あせて》と、ショックからなのか、別れを告げる言葉も耳に入らないのでしょう。それでも長年一緒に夢を追ってきた恋人に対しては《今度こそは幸せになる事祈ってる》《やぶれた翼で》《もう一度翔ぶのさ》とエールを送るのです。『B・BLUE』は今でもBOØWYの代表曲として、シングルの中では人気の高い曲で、セールス的にはもっと売れた『ONLY YOU』や『Marionette』よりも、支持が高いのではないでしょうか。カラオケでもよく歌ったものです。, さてこの『B・BLUE』とアルバム『BEAT EMOTION』で人気に火が付いたBOØWYの勢いはさらに加速していきます。翌1987年4月リリースの『ONLY YOU』はオリコン4位、1987年7月リリースの『Marionette』ではとうとうシングルでもオリコン1位を獲得するのです。惜しいのはこの時代、ドーナツ盤からCDへの移行期の真っただ中で、シングルレコードの売上が、音楽業界全体として低迷していた時期であったことから、枚数的には目立った数字ではなかったこと。おそらくあと2、3年前後にずれていたら、セールス的にももっと爆発的な数字になったのではないでしょうか。それでも1987年9月に発売されたアルバム『PSYCHOPATH』も当然のように、アルバムチャート1位を獲得し、まさに人気絶頂を迎えたBOØWY、これからさらにどんな高みを見せてくれるのか、どんな良い曲を聴かせてくれるのか、期待感でいっぱいだったのを覚えています。, ところが、そんな絶頂期の1987年の12月、突然の解散宣言で世間を驚かすことになるのです。そして1988年4月、予定通りBOØWYとしての活動を終わらせ、以後現在に至るまで、再結成することもなく来ているのです。その人気絶頂期間は約1年半、あっという間の出来事だっただけに、それが余計に伝説的存在として今でも語りつがれているということになっているのでしょう。さらには氷室と布袋、その後の活躍が、その伝説化に拍車をかけたのかもしれません。一定の世代以下の人にとってはピンとこないでしょうし、一定の世代以上にとっても、認知する前に消えてしまった存在なのかもしれません。ただ1986~1988年ごろに音楽に浸った世代にとっては、BOØWYの存在はやはり特別なのです。, 大々的に売り出された革新的な4人組ガールズ・アクション・グループの、トップ20入りを果たした唯一のシングル, セイントフォー…、リアルタイムでこの時代を過ごした者にとって、歌は覚えていなくても、その斬新なスタイルはかなりインパクトのあるものでした。楽曲の中で披露するバック宙をはじめ、息を切らしながらその場でランニングするように歌う姿、メンバーの一人が眼鏡をかけているなど、とにかく他のアイドルとは差別化しようという戦略が全面に出たグループでした。そこには事務所の意図、狙いというものが見え隠れして、そのデビューに当たっては、とにかくさまざまな媒体を使っての大々的な宣伝プロモーションが繰り広げられました。所属レコード会社の副社長を橋幸夫が務めていたということもあって、売出しのためにテレビに橋幸夫を伴って出演していたのを今でも覚えています。, おそらくライバルとして、同じ1984年にデビューした少女隊を念頭に置いていたのでしょう。少女隊もかなりお金をつぎ込んだプロモーションを行っていたので、そこには負けたくない、打ち負かしたいと、おそらく事務所の命運をかけたものだったと思われます。ただこのセイントフォー、素人目にも、本当に売れるのかと疑問を持って見ていた覚えはあります。確かに大規模なプロモーションでテレビや雑誌にも出ていましたし、1985年の各局の新人賞レースにも顔を出していました。ただ、アイドルとしてみたときに、正直なところ、可愛いという感じではなかったのです。当時はまだソロのアイドルが主流であった時代、一人では弱いからといってグループを組んだところで、人気が集められるかというと、必ずしもそうではなく、実際にデビュー曲『不思議Tokyoシンデレラ』(1984年11月)はオリコン最高35位とかなり苦戦しました。当時としては激しい振り付けで一生懸命歌っている姿を見ても、可愛さを求められるアイドルにとっては、かえって逆効果だったかもしれません。かといってアッと言わせるほどのスキルの高いダンスというわけでもなく、踊りながら歌うので歌唱力を求めるのはコクというもの。, それでも積極的なメディア出演により知名度も上がって、2ndシングルとしてリリースしたこの『太陽を抱きしめろ』は、オリコン最高15位まで上がり、売上も6.2万枚の実績を残したのでした。作詞はデビュー曲に引き続き森雪之丞、作曲も同じく続けての加瀬邦彦。加瀬邦彦はセイントフォーの音楽プロデューサーも務めていました。加瀬邦彦はグループサウンズのザ・ワイルドワンズ解散後も、作曲家として活躍をしていて、主なヒット曲には、沢田研二『追憶』『TOKIO』『恋は邪魔もの』、小柳ルミ子『冬の駅』があります。ただ『太陽を抱きしめろ』はそれらの作品群とはまったく雰囲気の違う、彼女たちが走っている格好で歌ったり、バック宙をしたりするに合うような、激しい曲ではありました。激しくアクションをしながら歌うのを見せたい、そのためにはどんな歌を歌うか、順番としてはそんな感じだったのでしょう。とにかく『太陽を抱きしめろ』はそこそこ売れました。ただ一方で、これが精いっぱいでもあったのです。, その4か月後の1985年7月にリリースした3rdシングル『ハイッ!先生』はオリコン35位と逆戻り。なぜか作詞者も作曲者も変わってしまい、さらにその2か月後の9月にリリースした『ハートジャックWAR』はまたまた作詞、作曲者を変えた上に順位を下げて46位と急降下。売れなくなるといろいろと問題が発生するもので、このあと所属事務所とレコード会社の間でもめ事が勃発、新曲を出すこともままならない状態に陥ると、そのまま大人の事情でセイントフォーは解散せざるを得なくなってしまったのです。こんな顛末もあって、どうもセイントフォーには悲運、不憫というイメージが付きまとってしまうのです。, 奇しくもこの年、素人の女の子を集めたようなおニャン子クラブがデビューし、芸能界に新しい風を吹き込むことになります。結局時代が求めていたのは、どこにでもいるような素人っぽいけれどちょっと可愛い女の子だったのです。コンセプトに従って初めからきちんと作られたアイドルは、結局求められていなかったのですね。セイントフォーも、そして少女隊も。, その後セイントフォーのメンバーたちは、デュオグループを組んだり、女優やグラビアなどで活躍したり紆余曲折を重ねていきます。そんな中2018年、メンバーの3人で再始動し、精力的に活動しているようです。全員揃っていないのは残念ですが、当時の不憫さを思うと、楽しんでやられているようで、なぜかほっと嬉しく思うのです。, テレビドラマ『炎の犬』の主題歌に起用されて大ヒット、フォークグループ日暮しの元ボーカルとして、解散後の唯一のソロヒットシングル, 1981年1月発売の『サンセット・メモリー』は、日本テレビのドラマ『炎の犬』の主題歌にも使われ、オリコン最高4位、売上46.1万枚の大ヒットとなり、この曲を歌う杉村尚美は、毎週のようにテレビの歌番組に出演していました。, もともと杉村尚美は、フォークグループ「日暮し」のボーカル、キーボードの榊原尚美として活躍、1977年に発売された『い・に・し・え』がオリコン14位、売上21.9万枚のヒットとなりましたが、1979年に解散していました。その後しばらく間を空け、さらに名前を変えて、ソロデビューを果たしたのがこの『サンセット・メモリー』だったのです。そしてこれが見事にヒットということで、グループ以上のヒットとなったわけです。, さてこの杉村尚美ですが、ソロとしても、グループとしても、それぞれ見事なほどの一発屋力を発揮しています。俗に一発屋と言われる歌手は、無名だったり、デビューしたてだったのが、突然ヒットに恵まれるわけで、それ以前に全く実績がないというのはよくあることですが、普通その次に出した曲は、知名度があがることで、売れなかったといってもそこそこの売上にはなってくるものです。ところが日暮しというグループにとっても、ソロ歌手杉村尚美にとっても、前述のヒット曲以外に、オリコントップ100にランク入りした曲がないのです。きれいさっぱりな一発屋なのです。もちろん杉村尚美の参加した曲としては2発屋にはなるのですが、それにしても日暮しは前後に何曲かレコードをリリースしていますし、杉村尚美も1982年に2枚目、3枚目を発売しているのです。そういった点で、アーティストパワーではなく、ほぼ100%楽曲のパワーに因ったヒットであったといえるのでしょう。, そんな『サンセット・メモリー』ですが、作詞は竜真知子。他のヒット作としては一風堂『すみれSeptember Love』、狩人『あずさ2号』『コスモス街道』、サーカス『Mr.サマータイム』『アメリカン・フィーリング』、石川秀美『バイ・バイ・サマー』『スターダスト・トレイン』『夏のフォトグラフ』、河合奈保子『スマイル・フォー・ミー』『ラブレター』『夏のヒロイン』、キャンディーズ『ハートのエースが出てこない』、桑江知子『私のハートはストップモーション』、西城秀樹『リトルガール』『南十字星』などなどがあります。作曲は木森敏之で他の作曲の実績としては、岩崎宏美『聖母たちのララバイ』『家路』、中村雅俊『心の色』、渡辺徹『愛の中へ』などがあります。いずれにせよ、プロの作詞家、作曲家がドラマに合う曲をということで仕上げた曲が、見事にはまったということなのでしょう。詩の内容は普遍的でいつの時代にも合うような愛の歌でありますし、曲も誰もが口ずさめるようなわかりやすく覚えやすい曲で、まったく奇を衒ったところはありません。今からすると、ここまでのヒットになったというのが不思議に思ったりもするのですが、ドラマとの相乗効果が大きかったのでしょうね。, 杉村尚美という歌手ですが、なかなかおきれいな人で、当時の歌番組では、10代のアイドル歌手や妖艶な演歌歌手の中では、やや異彩を放っていて、それがまた当時は新鮮に映った覚えがあります。また、そのボーカルはやや裏声に近いような綺麗な声で、やや不安定な感じが特徴でもあり、けっして歌が上手というわけではなかったのですが、印象に残る歌声でした。その後はほとんどメディアに出ることもなく、引退して一般人として生活しているようです。, バブル期の象徴、肩パッドがっちり系ダボダボジャケットに身を包んだイケメンシンガーが放った、車、車、車の唯一のトップ10ヒット曲, 1986年8月『ハートブレイカーは踊れない』で歌手デビューした池田政典。バブル絶頂期に向かってまっしぐらのこの時代に、当時流行していた肩幅ががっちりしたダボダボスーツやジャケットを着て、女性たちのハートをつかんだイケメン風(けっしてイケメンとは言い切れないのですが、歌っている雰囲気はイケメン以外の何物でもない感じ)シンガーです。そのデビュー曲はオリコン18位という結果を残し、続く『Shadow Dancer』(1987年3月)も18位と、もう少しでブレイクというところでリリースした3枚目のシングルが『NIGHT OF SUMMER SIDE』です。そのファッションやルックス、曲調あたりをみると、ライバルとしては清水宏次朗とか吉川晃司とかそのあたりになったのでしょうか。, 3枚目シングル『NIGHT OF SUMMER SIDE』はタイトルの通り、夏に向けて発売されたサマーソングです。作詞は2枚目『Shadow Dancer』と同じ売野雅勇、作曲はそれまでの2曲を担当した林哲司に変わりNOBODYが担当。もっとも林哲司作曲と言われてもまったく違和感がないような曲と音になっていて、狙っているところにぶれはありません。スーツやジャケットにこだわったステージ衣装や、ちょっとテンポを速くしたオメガトライブのような音といい、スマートな都会派のシティポップスシンガーという路線は明確です。ワイルドなオラオラ系でもなく、母性をくすぐるような可愛い系でももちろんなく、あくまでもスマートに女性をエスコートできるような頼りがいがあって隙のない男、そんなイメージに合わせて、曲もリリースしているような、そんな印象はありました。, 当時の男性が歌うシティポップ系の歌には、まず必ずと言っていいほど車に関係する言葉が歌詞のどこかに出てきたもので、都会派ソングには車が必須でした。杉山清貴&オメガトライブなんてその最たるアーティストだったりするわけですが、この池田政典の曲にも車関連のワードが頻出します。『ハートブレイカーは踊れない』では《夜をこのまま走り続けて 泣かせるクラクション》。4枚目『FORMULA WIND』(1988年2月)では《チタンの火花を胸にまきあげて 駆けぬけろ》《燃えるかぜになれ 栄光のフラッグを》とカーレースがひとつのモチーフになっています。5枚目『君だけ夏タイム』(1988年6月)では《海岸線(クリフサイド)の交差点でキスしたね 並んだクーペから身を乗り出して》、6枚目にいたってはタイトルが『バックミラーに消えた恋』(1989年9月)ですから、とにかく池田政典の歌は車、車、車なのです。その中でも『NIGHT OF SUMMER SIDE』は車だらけ、一番の歌詞は舞台が車の中ですから、当たり前といえば当たり前なのです。《アクセルの悲鳴》《軋むタイヤ》《飛び出したクーペ》《振り切りドア閉めた》《ハイウェイ・ジャンクション》…。, この曲、実はとんでもない歌で、見知らぬ女性がいきなり車に乗り込んできて、どこでもいいから走ってと、いわれるままに車を走られているうちに恋におちたという、まー、なんというか、軽いというか、女も女なら男も男というか、現実感がなく、まるで描いた妄想を歌っているような内容なのです。でもこれがバブル時代なのですよね。それでもって、この曲はオリコン最高7位を記録するという、池田政典にとって唯一のトップ10入りのシングル曲となったわけですから、いやはや、という感じなのです。今思うと、歌手池田政典という存在は、まさに1980年代後半という時代を映し出したような存在だといえるのかもしれません。, ただカッコから入ったような歌では長くは続きません。続く4枚目『FORMULA WIND』が惜しくも11位で終わると、『君だけ夏タイム』の18位を最後に、ヒットチャートのトップ20からは遠ざかっていきます。1990年代になると、池田政典自身、歌手業よりも俳優業に軸足を置くようになっていくのでした。, その後セイントフォーのメンバーたちは、デュオグループを組んだり、女優やグラビアなどで活躍したり紆余曲折を重ねていきます。そんな中, バブル期の象徴、肩パッドがっちり系ダボダボジャケットに身を包んだイケメンシンガーが放った、車、車、車の唯一のトップ.

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By | 2020-11-16T09:14:25-03:00 novembro 16th, 2020|Notícias|0 Comments

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